さくらが死んでしまった。
さくらというのはうちの猫です。
昼頃、私が寝ていた部屋で、ゼイゼイと苦しそうな息をしていて
私はそのさくらの声で起きました。
さくらは血を吐いていてぐったりしていました。
私は大声で祖母を呼び、
ぐったりしたさくらを下に運びました。
仕事中の母に電話して
12時過ぎに帰ってきてもらって病院へ行きました。
病院へ行ったとき既に心臓は止まっていて
そのゼイゼイという息は死ぬ間際の呼吸の仕方だと先生は言っていました。
病院はきちんと穴に綿を詰めて
身体を綺麗に拭いて、花のついた首輪をつけて、箱にいれてくれました。
私は帰ってからさくらを仏壇の前に置き
祖母にお経をあげてもらいました。
それから床に吐いた血を拭いて
こみ上げてきたひどい悲しみと共に眠りました。
母が帰ってきてさくらに花と、饅頭を一つ添えました。
私は朝から何も食べていなかったので
朝ご飯用に用意されていた目玉焼きとグレープフルーツを食べました。
しばらくして弟が帰ってきて
さくらの死を告げると
彼は仏壇の前に行って箱に入っているさくらを抱き上げて泣きました。
私は昼に何度も泣いていたのにまた泣きました。
弟は
「嫌なことがあってもお前の顔を見ると忘れられた」
と言っていました。
さくらは弟が拾ってきた猫です。
元々弟は猫や犬が嫌いでしたが、
うちの駐車場に住み着いていたさくらだけは
「可愛い」といってよくパンをあげたりしていました。
さくらを拾った頃、弟は部活で嫌なことが沢山あって
彼は誰にも悩んでいる姿を見せず、ひっそり苦しんでいました。
それをさくらが癒していたようでした。
母は
「ペットはその家の人の死を代わりにもっていってくれる」
と言っていました。
さくらは私の死を、もっていってくれたんだと。
私の「死にたい」という気持ちを持っていてくれたんだと。
そう思うと涙が溢れて止まりませんでした。
「姉ちゃん、死ぬってこういうことなんだよ。さくらの分まで生きようよ」
と弟は言って、私達は声を上げて泣きました。
さくらの死には、「生きろ」というメッセージが残されていたと、
「強くなれ」という思いが込められていたと、
そう思いました。
さくらが死んで、私は恥ずかしながら
「死ぬってこういうことなのか」と思いました。
私は死ぬことをもっと楽であり綺麗なことだと思っていたのに
家族に残すのは悲しみだけであるということを
身をもって感じました。
なんと甘かったこと。私はバカだったんだと思いました。
「死にたい」とよく口にするけれど「死ぬ」ってこういうことなのかと。
覚悟が出来てないただのバカだったんだと感じました。
さくらとの思い出はあげればきりがありません。
私はさくらを大変愛していましたし、
私にとっても、他の家族にとっても、
さくらが第一の理解者であったことは間違いないと思います。
夜中一人で起きていた時にやってきてくれるのはさくらだけで
過食をしていても、風呂に入っていてもさくらは待っていてくれていました。
それがさくらにとってどんな意味をもっていたかはわかりません。
でもそのさくらの一つ一つの行動にとても癒されました。
これからさくらがいない生活なんて考えられない。
寂しいとか悲しいとか、そういうのではなくて
何か足りない。どこか開いた穴が塞がらない。
風がどんな時も吹き抜けてくる。
そういう悲しみ。
今もさくらのにおいが忘れられない。
私はこのにおいを忘れずに生きていこうと思った。
病気と闘い、一人前になるのだと。
さくらというのはうちの猫です。
昼頃、私が寝ていた部屋で、ゼイゼイと苦しそうな息をしていて
私はそのさくらの声で起きました。
さくらは血を吐いていてぐったりしていました。
私は大声で祖母を呼び、
ぐったりしたさくらを下に運びました。
仕事中の母に電話して
12時過ぎに帰ってきてもらって病院へ行きました。
病院へ行ったとき既に心臓は止まっていて
そのゼイゼイという息は死ぬ間際の呼吸の仕方だと先生は言っていました。
病院はきちんと穴に綿を詰めて
身体を綺麗に拭いて、花のついた首輪をつけて、箱にいれてくれました。
私は帰ってからさくらを仏壇の前に置き
祖母にお経をあげてもらいました。
それから床に吐いた血を拭いて
こみ上げてきたひどい悲しみと共に眠りました。
母が帰ってきてさくらに花と、饅頭を一つ添えました。
私は朝から何も食べていなかったので
朝ご飯用に用意されていた目玉焼きとグレープフルーツを食べました。
しばらくして弟が帰ってきて
さくらの死を告げると
彼は仏壇の前に行って箱に入っているさくらを抱き上げて泣きました。
私は昼に何度も泣いていたのにまた泣きました。
弟は
「嫌なことがあってもお前の顔を見ると忘れられた」
と言っていました。
さくらは弟が拾ってきた猫です。
元々弟は猫や犬が嫌いでしたが、
うちの駐車場に住み着いていたさくらだけは
「可愛い」といってよくパンをあげたりしていました。
さくらを拾った頃、弟は部活で嫌なことが沢山あって
彼は誰にも悩んでいる姿を見せず、ひっそり苦しんでいました。
それをさくらが癒していたようでした。
母は
「ペットはその家の人の死を代わりにもっていってくれる」
と言っていました。
さくらは私の死を、もっていってくれたんだと。
私の「死にたい」という気持ちを持っていてくれたんだと。
そう思うと涙が溢れて止まりませんでした。
「姉ちゃん、死ぬってこういうことなんだよ。さくらの分まで生きようよ」
と弟は言って、私達は声を上げて泣きました。
さくらの死には、「生きろ」というメッセージが残されていたと、
「強くなれ」という思いが込められていたと、
そう思いました。
さくらが死んで、私は恥ずかしながら
「死ぬってこういうことなのか」と思いました。
私は死ぬことをもっと楽であり綺麗なことだと思っていたのに
家族に残すのは悲しみだけであるということを
身をもって感じました。
なんと甘かったこと。私はバカだったんだと思いました。
「死にたい」とよく口にするけれど「死ぬ」ってこういうことなのかと。
覚悟が出来てないただのバカだったんだと感じました。
さくらとの思い出はあげればきりがありません。
私はさくらを大変愛していましたし、
私にとっても、他の家族にとっても、
さくらが第一の理解者であったことは間違いないと思います。
夜中一人で起きていた時にやってきてくれるのはさくらだけで
過食をしていても、風呂に入っていてもさくらは待っていてくれていました。
それがさくらにとってどんな意味をもっていたかはわかりません。
でもそのさくらの一つ一つの行動にとても癒されました。
これからさくらがいない生活なんて考えられない。
寂しいとか悲しいとか、そういうのではなくて
何か足りない。どこか開いた穴が塞がらない。
風がどんな時も吹き抜けてくる。
そういう悲しみ。
今もさくらのにおいが忘れられない。
私はこのにおいを忘れずに生きていこうと思った。
病気と闘い、一人前になるのだと。
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